That can possibly explain why when a song is suddenly stopped “audiences wanted to continue the song”. When the dancers fall and stop dancing” audiences assume that perhaps, it’s the audiences’s task to be the next one to dance”.
感情移入する観客:暴力や貧困の問題を抱えてきた文化では、パフォーマーが「繰り返し」を強要されている状況を目の当たりにし、それを暴力だと捉える人たちがいるでしょう。私たちは批評的に思考するのではなく、本能の赴くままに「苦しんでいる」人、または「困難」に挑もうとする人に感情移入していきます。声援とともに拍手を送り、励まそうとするのです。「身体と時間を共有してくれた」人たちに、私たちは寄り添うのです。最終的に人間らしさはどんな芸術にも勝るのです。
これは、曲が突然止まった時に「観客が曲を続けたいと願った」ということの説明になるかもしれません。ダンサーが倒れ、踊ることを止めたとき、踊るという任務を次に背負うのは自分なのかもしれないと、観客は感じたのかもしれません。
Photo by Claudia Enriquez |
On violence. We went to A venue today with loud music. Loud music is not violence to us, it is part of life. Enforced repetition of movement is not violence for performers, it is just another paying job. As sad as it may sound, this is the reality of life. No matter what we do inside, the theater is the safe space, and everything outside is more violent or maybe, not. This is a violent country and people are trained either to fight and/ or empathize. We will “will” it everyday with the ultimate goal - to survive. When faced with violence, either we offer help or fight! And so we dance. Dance for survival.
暴力について:今日、私たちは大きな音で音楽が流れている「A venue」というところに行きました。大きな音で流れる音楽は、私たちにとっては暴力ではありません。生活の一部です。パフォーマーにとって、動きを強制的に繰り返すことは暴力ではありません。お金になる仕事のひとつでしかありません。惨めなことのように聞こえるかもしれませんが、これが生活の現実です。内側で何をやったとしても、劇場は安全な場所で、外側にある全てはもっと暴力的、もしくは、そうではないのかもしれません。ここは暴力が蔓延した国で、人々は戦い、また、もしくは、感情移入するように訓練されています。「生き残る」という最大の目標に向かって、毎日、こうやって生きています。暴力に直面したとき、私たちは手を差し伸べるか、戦うのです。そして、だから私たちは踊ります。生き残るためのダンスです。
Photo by Claudia Enriquez |
This is not a cultural exchange. The production management, yes, in a way but not really the performance. On thing is clear. The parameters, the musical and dance score is a collaboration between Tada and Kitamari. The other artists from Japan, Philippines and Cambodia are contributors to the content and not direct collaborators to the structure. And yes, this is ok. The production and the performance does not claim that the dancers are “definitive” representatives of their cultural background - but by their personal histories as people and dancers. Culture is given, it is already embodied. There is no part where they negotiate to exchange. They just dance and co-exist. And it is ok. It was made clear by the way the dancers do not look and interact with each other as much as they share the same space.
これは文化交流ではない:製作に関するマネジメントでは、そうだと言えると思いますが、パフォーマンスに関してはそうではありません。ひとつ明確なのは、パラメーター(境界、限界)です。音楽とダンスの構成(score)は、多田さんときたまりさんのコラボレーションによるものです。日本、フィリピン、カンボジアの他のアーティストたちは、その中身としての参加者ではありますが、構造に関しては直接的なコラボレーターではありません。そして、はい、これはOKです。製作においてもパフォーマンスにおいても、ダンサーがそれぞれの文化的背景を「決定的」に代表するものだとは主張していません。しかし、人として、ダンサーとしての彼らの個人的な歴史として扱われています。文化は与えられたものです。すでに具現化されたものです。「交換」のために、彼らが交渉しあうシーンはありません。彼らはただ踊って、共存しているだけです。そして、これはOKです。これは、ダンサーが互いを見ることも、関わり合うこともなく、同じ空間を共有している様子から、はっきりと伝わってきます。
(翻訳:平野真弓)
Photo by Adrienne Vergara |
MNLLikha x Sipat Lawin Ensemble
2019年1月13日・14日
会場:Power Mac Center Spotlight
CREDIT
演出:多田淳之介/振付・出演: Eisa Jocson、Irish Paul Mendoza、Carissa Adea、John Paul Ortenero、Narim Nam, Sophal Sor、きたまり、益田さち
プロデューサー:岡崎松恵/テクニカル・ディレクター: Lang Craighill/照明:岩城 保/通訳:平野真弓
プロジェクト・マネージャー :JK Anicoche 、Alon Segarra/アシスタント・プロジェクト・マネージャー:Claudia Enriquez/テクニカル・コーディネーター:Roman Cruz/照明:Carter Humalong/音響:Hermie Aguinaldo/広報デザイン:Adrienne Vergar/記録映像:Brandon Relucio
共同製作:Sipat Lawin Ensemble、NPO法人Offsite Dance Project、RE/PLAY Dance Edit実行委員会
助成:国際交流基金アジアセンター、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
パートナー:Circuit Makati、Power Mac Center Spotlight、Sinag Arts Foundation、Fuji Xerox
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