2018年4月25日水曜日

ダンサーからのフィードバック

こか遠くへ行こうとするような、それでいて足下をみるような作品。フレームがはっきりしているから、そこにどう居るかは自分次第。何かの先を目指すとかではなく、一瞬一瞬そこに居ることに最大限の力を注ぐ。その過程でどうしようもなく繰り返せない身体がうまれる。けれど繰り返す。私たちはダンサーだから。
今村達紀[2012年京都、2016年シンガポール、2017年京都/振付・出演]


2012年の京都と、2017年のカンボジア公演に出演しました。
この作品では年齢やダンスの経験年数やバックグラウンド、またダンスの事だけで無く言語や文化、生活習慣の違う海外のダンサーと関われる事の面白さがありました。
またそうした楽しい部分だけで無く、作品からは自分にの「ダンス」とは何か?を問われる厳しさも感じた事が印象に残ってます。
竹ち代毬也[2012年京都、2017年プノンペン/振付・出演]


「踊らない」ことを突きつけてくる演出家に、私は今まで出会ったことがないかも知れない。踊ることが前提のダンスでは、実は嘘を重ねていることに気が付かない時がある。
私は横浜とカンボジア、異なる2つの地でこの作品に出演し、とことんその時期の自分自身の身体と心の在り方に向き合わされ、奥底に潜む欲求に出会った。繰り返し起こる日常、のように何度も何度もリピートされる音楽の中で、二度と繰り返せない瞬間に触れながら「踊らない」を「踊り」にしてゆく。それは単に即興を振付化してゆくというだけの生易しいものではなく、答えに手が届きそうな感覚を常に先へずらし、必死に探し続ける身体と共に私が生きているということへの実感だった。踊らずにはいられない。ダンサーという生き物が身体の中に巣食っている、そのことの実感に触れるまたとない体験であり、大きな節目となる作品になった。共に踊ったダンサー、この企画チームに敬意を表して。
 伊東歌織[2014年横浜、2017年プノンペン/振付・出演]


ンプルだが、とても複雑な作品だった。私はこの作品が、私たちの毎日の生活に呼応するものであり、人々とその生活から着想を得て作られたものだと理解している。またこの作品は、アーティストの身体、年齢、国籍、身体的実践を通して、国際的なコラボレーションの可能性を作り出した。
カンボジアの観客とパフォーマーにとっては、反復と危機に耐える能力を試される挑戦的な作品だった。演出家が日常の動作や活動を媒体に、繰り返しとほんのわずかな変化を通して極度の状況を作りだしたことを、アーティストの立場から評価している。
Chankethya Chey[2017年プノンペン/振付・出演]


後の曲で全員が踊る中、息も絶え絶えに倒れて見上げる目線の先で照明を浴びて踊るメンバー。‬
‪そして僕は再び起き上がってダンスに駆り出される。‬
‪集中して舞台に立ちパフォーマンスを行う中で見える景色も大事だと思っていて、その時の景色、そのメンバーの風を切るダンスと、錯覚してしまうほどに体験を決定しまう音楽を鮮やかに記憶している。‬
‪、、と言えるのも記憶だからかもしれない。‬
Aokid[2017年京都/振付・出演]


は『RE/PLAY Dance Edit』の京都公演で踊らせて頂き、マニラ公演を観劇しました。出演者であれ観客であれ、『RE/PLAY Dance Edit』に関わるにあたり意識せざるを得ないのは「踊る/踊らない」の境界です。ボーダーラインを越える時に何を変え、何を変えないのか。「踊るとは」と共に「変えられなかった何か」にこそ、自身のこれまでのダンス環境の現れを感じました。
各地で何度も再演を繰返していて、公演場所が異なっても出演者同士共有できる感覚は沢山あるのに、振付は極めて個人的だし各回のダンスがまるで違う。故に、観れば観る程それぞれの意志に焦点が合う。これは日々自分の身体とダンスと向き合って生きている者として、とても嬉しいことなのです。
斉藤綾子[2017年京都/振付・出演]


のプロジェクトに参加して、初めてダンスが嫌になりました。パフォーマンス中は自分はダンスが好きだ!と言い聞かせつつ、自分の気力と体力の限界さと戦いながら踊りました。毎日、作品の意味と筋肉痛の日々でしたが、公演を終えた時の達成感は今も忘れられません。この達成感を得られるからこそダンスはやめられないのだと思いました。 『RE/PLAY Dance Edit』万歳。
吉田 燦[2017年京都/振付・出演]


リエイションから通し稽古と本番2回、毎回全く違う景色を見に行く旅みたいな体験でした。スタートからゴールまで、振付という道があって、ゴールにたどり着くには最初から最後までただただ進み続けるしかない。だから必死に進むけど、たまにすっ転んだり、思わぬところにはみ出たり、誰かと出会ったり。体力的にキツくて止まりたくなるけど、ラストのユニゾン(ゴール)で倒れた瞬間に、「今回もみんなでゴールできた」っていうのが最高の気分でした。
またダンサーの国籍・性別・ダンスの背景などが多様で、立っているだけで違いが感じられたのですが、そういった身体的な多様性に加えて、この作品ではルールにどこまで忠実であるか、ダンスをどう捉えているか、といった考え方の多様性も露わになる面白さがありました。その中で自分が現状でダンスとして提示できることはまだ限られているな、という気付きと、ならばまだ広げられるという漠然とした希望が今あります。
益田さち[2018年マニラ/振付・出演]

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