2016年2月25日木曜日

観客からのフィードバックなど

シアターワークスの特設サイトに掲載された観客の感想:
翻訳:齋藤梨津子/写真:LAW Kian Yan



“When I begin to watch the show, the beginning, the performers movement looked quite different and incoherent. And I’m wondering how the story will go on. After some time, I found some differences in the movement even though they did the same thing. I could tell their facial expression, the pace, their breathing, their body was different. I wondered if it was choreographed or if they were they acting or not. It was quite interesting. Because of the performers movements, their bodies are so true; I also found myself breathing so hard and the line between the performers and myself was blurred”. - Haruka Nagao from Japan (Curator)

「公演を見始めた時は、出演者の動きは様々でバラバラに見えたので、この先どんなストーリーが展開していくのだろうと思っていた。しばらくして(60分ぐらい見たところで)、出演者が同じ動きをしているにもかかわらず違いが生じていることに気がついた。顔の表情やペース、呼吸、身体が変化していることがわかった。これは振付なのだろうか、演技なのだろうか、ちがうのだろうかと考えていた。とても面白かった。出演者の身体は、彼らの動作を通じて真に迫るものになっていた。自分も息が上がり、出演者と自分の境界線が分からなくなっていった。」

“I was really intrigued by it. It’s super thought provoking, especially since I myself am a dancer, it’s making me wonder if its really important for me to know why I dance and the purpose behind it. Because these are things that usually change depending on what purpose or the audience you’re performing to; the context really matter. In this performance, there is a lot of undoing of what you learn and the basics that you go through, and I think I myself will find that super difficult if I have to go through it”. - Sabrina Wong, Undergrad (NIE)
「とても興味をそそられる作品だった。ものすごい発案だ。自身もダンサーなので、とても刺激を受けた。なぜ踊るのかということと、その裏にある目的を知ることは、自分にとって非常に重要だと考えるようになった。なぜならこれらの事は通常パフォーマンスをする目的や対象となる観客によって変化するものだからだ。文脈が大いに関係してくる。私たちが学んできた多くの事や経験してきた基本的なことを、本作は打ち砕いていった。もし私がこの作品をやらねばならない立場だったら、めっちゃくちゃ難しいと思う。」


‘Initially found the steps and repetition tiresome. But eventually saw the energy they put into each repetition that finally exploded so colourfully’.– Koh Xin Rui Eleora, 18 Feb
「最初は繰り返しを苦痛に感じました。しかし、ダンサーがひとつひとつの繰り返しにエネルギーを込めていて、最終的にはそれがとても色鮮やかに爆発していることに気付きました。」

‘It was interesting how the different dancers never crossed each others’ paths – almost like different realities all occuring in the same space’.– Clarice Handouo, 20 Feb
「様々なダンサーたちが関わり合うことない様―あたかもそれぞれが同時に別々の現実を生きているような様子―を見ることができてとても面白かったです。」

‘The dancers as a vessel for meaningbut I feel this time I get to see the dancer’s body more’ – Akbar, 17 Feb
「ダンサーは意味を表現するための入れ物のように思っていたが、本公演では彼らの身体により目を惹きつけられました。」

‘Is it crucial to know what dance means? Is it different every time? I have lots of questions now’. – Sabrina Wong Si Hwei, 18 Feb
「ダンスとは何を意味するのか、という問いは実に決定的です。それは毎回異なるものなのか?今私には様々な疑問が浮かんできています。」

‘I’m able to view things both as an audience member and part of the piece’ – Sabrina Wong Si Hwei, 18 Feb
「ここで起こる出来事を観客の一人として、また同時に作品の一部となって、観ることができました。」

‘Very open, leaves a good amount of performance to interpretation’ – Clarice Handouo, 20 Feb
「とても開かれた空間で、作品を解釈するための余地が十分に残されていると思いました」



2016年2月20日土曜日

最終日

公演4日目。
最終公演の前に、記念撮影。



打上げにて。お疲れ様でした!




レビュー/RE/PLAY Dance Editサイト(2016年2月20日掲載) by Ng Yi-Sheng

レビューが、RE/PLAY Dance Editサイトに掲載されました。
「Catch the show if you can!」という挑発的な見出しで始まる長文のレビュー。以下、オンラインでご覧いただけます。

Thoughts on RE/PLAY Dance Edit by Ng Yi-Sheng 
Catch the show if you can!  

https://replay2016.wordpress.com/2016/02/20/thoughts-on-replay-dance-edit-by-ng-yi-sheng/


RE/PLAY Dance Editに対する所感:
「このショーを、観られるものなら観てみろ!」
Ng Yi-Sheng〈ライター〉/和訳(翻訳:齋藤梨津子)

ストラヴィンスキーが1913年に『春の祭典』を初演した時、観客が暴動を起こしたことをご存じだろうか。

昨夜、私もちょうどそれと同じことをしたくなった。真面目な話、『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』が4回目か5回目に差し掛かった時には、客席のパイプ椅子を投げ飛ばし、ケーブルを引っこ抜き、床の照明に火をつけてやろうかと思った。

私は『RE/PLAY Dance Edit』を何の予備知識もなしに観に来ていたのだ。(シアターワークスの)Tay Tongから招待券を貰った。観に行かない理由はない。多田淳之介が本作で反復というコンセプトに取り組んでいることも何も、私は知らなかった。あったのは、コミュニティ・センターでやる以外、大体いつも奇妙な作品を上演しているシアターワークスのことだから、何かしら妙なものを見せられるだろうという心構えだけだった。公演前、私は批評家のMayo Martinに「この作品はダンスといえるものだろうか、それともダンスではないダンス(dance bukan dance)になるのだろうか・・・」と話していた(bukanはマレー語の否定語)。

パンフレットのコメントで多田は、シンガポール人は夜中の12時になるまでクラブで踊ることを拒むということに触れながら小さな可愛い前置き(彼は我々を「逆シンデレラ」と呼んでいた)をしている。それにもかかわらず、本作の最初の1時間少々はまったく「踊りではない」ものだった。それは彼が8人のダンサーに踊らない動きを課していたという事実だけではない―私は、革新の名のもとにダンスという芸術の基礎に挑戦し、破壊していくコンテンポラリーダンス作品を数え切れないほど観てきたので、耐性はできていると思っていた。

違った。それは安っぽい音楽の繰り返しだった。『We Are the World』の二回はまだ耐えられるとしても、という意味である。これは熱烈でキッチュで叙事詩的な曲だから問題ない。だがしかし、1968年に発表された白人男性による耳にこびりついて離れないレゲエ気取りの音楽を10回繰り返すという行為は非人道的犯罪である。(批評家の)Mayoはビートルズの一切の楽曲を10年は聴かないと誓ったと言うが、今世紀いっぱい聴かなくていいだろう。

多田がこのダンス経験の破壊を、スペクタクルな要素を取り去ってしまうところまで推し進めなかったことに、実のところ、ある種の感謝の念を抱いている。なぜなら私は少なくともダンサー達が順序良く整理されたストレッチ運動をしている間、この8人を検証し続けることができたし、彼らと脳内boff/marry/killゲーム(女性3人を選んでセックスするか、結婚するか、殺すかを選ぶゲーム)で何度か遊べたからだ。照明デザイナーによる華麗な影遊びも、もちろん、楽しむことができた。

そして6回か7回目に差し掛かった時、ある種の諦念が芽生えた。この苦痛を、前衛的エンターテイメントとして受け入れるという諦めである。

それは『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』以外のなにものでもなかった。

そこには『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』しかなかった。

だがそこから生まれたのは…大切なものだった。ダンサーたちは立ちあがり、最終公演が終わった後の会話をもっともらしく演じる。疲労困憊、ビュッフェ形式のお祝い、クラブで踊ること、酔っ払い、シンガポールのアート・シーンの話題、彼らの生活のこと、もう二度と会えないこと(日本で再会するという虚の約束)、そしてその後、日本語バージョンの『Save the Last Dance for Me(ラストダンスは私に)』に合わせ、もう一度踊る…

(このあたりで私の記憶は一部空白になっている。)

その後、全くのディスコ・クラブ・ミュージックと共に最後の爆発が訪れる。本物のB-boyの動きや逆立ち、K-popダンスの動作などをちりばめながら、出演者は皆すっかり気が狂ったかのようになっていく。ことごとくあなたを拒んできた公演のクライマックスで、あなたはWow wowと歓喜の声をあげ、出演者は消耗しきって床に崩れ落ちていく…それは見事なスペクタクルだった。

そして出演者は立ちあがり、それを繰り返す。

そして出演者は立ちあがり、それを繰り返す。

見飽きることはなかった。部分的には曲(日本語なのでタイトルは知らない)が良かったからだし、部分的には出演者のファンキーな踊りの動きのためである。私は今や自分の半分の人生を知っているような気持になり、今や本作の根本的な部分を幾分か受け入れるようになってきている。

我々が実際に終わりとカーテンコールに達する前に、他の踊りは段階的に静かになっていった(私はTay Tongが拍手を始めるまで手を叩く勇気のなかった観客の一人である)。しかし、私が感動を覚えたのは、クライマックスの後に真のクライマックスが訪れるという構造的な経験のためではなかったと思う。そうではなく、出演者の人生を垣間見ることのできる、うっとりするほど素敵な窓のようなものがここに現れるという、その手法に感動したのだ。観客としての私たちが望むのは、最終版の美しい作品である。しかし現実に起こっていることは、ありふれた繰り返しに次ぐ繰り返し(フランス語でリハーサルを意味する語は繰り返し[repetition])、そして煮詰まらない状態のまま、動きを通すだけのパフォーマンスを求められる、ひどいテクリハ…

そして本番のときでさえ、あなたは持てる全てを差し出すことになる。

そして次の公演が始まると、あなたは再び全てを差し出すのだ。

これは多田が意図的に行っているのだろうか?おそらくそうだろう?インタビューで彼は集団自殺と東日本大震災か何かのことを語っていた…何か関連があるのだろうか?

そしてこの奇妙な、エンターテイメントの否定、からの成熟した最終部分は、あなたが払った金額の三倍の価値はある。観客を拷問にかけた上でやつらをぎゅっと抱きしめるようなものである(紋切り型の演劇的構造は唯一のクライマックスに集中していくため、時として男性中心主義と言われる。一方実験的な作品は複数のクライマックスによって女性的な快楽を模倣しているのかもしれない)。

そしてこの奇妙な、エンターテイメントの否定、からの成熟した最終部分は、あなたが払った金額の三倍の価値はある。観客を拷問にかけた上でやつらをぎゅっと抱きしめるようなものである(紋切り型の演劇的構造は唯一のクライマックスに集中していくため、時として男性中心主義と言われる。一方実験的な作品は複数のクライマックスによって女性的な快楽を模倣しているのかもしれない)。

そしてこの奇妙な、エンターテイメントの否定、からの成熟した最終部分は、あなたが払った金額の三倍の価値はある。観客を拷問にかけた上でやつらをぎゅっと抱きしめるようなものである(紋切り型の演劇的構造は唯一のクライマックスに集中していくため、時として男性中心主義と言われる。一方実験的な作品は複数のクライマックスによって女性的な快楽を模倣しているのかもしれない)。

私が言えることはこれですべてだ。このショーを、観られるもんなら観てみろ!



レビュー/Today(2016年2月20日掲載)by Mayo Martin

Today紙にレビューが掲載されました。オンラインでもご覧いただけます。

Dance review: Same same but different in Re/Play Dance Edit
by Mayo Martin〈アート批評〉

http://www.todayonline.com/entertainment/arts/dance-review-same-same-different-replay-dance-edit


以下、和訳(翻訳:齋藤梨津子)

RE/PLAY Dance Editのほとんど一緒、だけどちょっと違うところ
「反復の美を強調した大胆不敵なダンス作品」
Mayo Martin

シンガポール―同じ曲を繰り返し聞いたと誰かが大げさに言っても、まさかそれが、次から次へと、10回も繰り返したという意味だとは思わないだろう。

我々はそれを、ビートルズの陽気な『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』で体験したのだった。この楽曲は72-13で上演された『RE/PLAY Dance Edit』という大胆不敵なダンス作品の中心部分に据えられていた。

本作はシアターワークスと日本のOffsite Dance Projectのコラボレーションで、日本とシンガポールの8人のダンサーが同時にパフォーマンスをするという多田淳之介の作品である。繰り返すことを主題にした本公演は、組織されたカオスとでも言えよう。この多田の作品自体は2011年に既に上演されている。当地では8人の出演者は、日常的な身振りとダンスの動きが入り混じった個々人のパートを繰り返す。思案にふけっているような静的なポーズ、驚いたようなポーズ、望遠鏡をのぞいているようなポーズ、飛び上がり、跳ねまわる動き、奇妙なボクシングのジャブ、そして彼らは何度も崩れ落ちる。これらの多くはポップミュージックが流れる中で行われた―『We are the World』、日本のダンスポップ・チューン、そしてそうFab Four(ビートルズ)が最もへんちくりんなタイトルを付けたあのヒット曲。

ビートルズの部分の半分が過ぎた頃、困惑が苛立ちに取って代わったことを認めよう。しかしこのような側面は本作のヴィジョンの一面にすぎない。映画『Groundhog Day(邦題:恋はデジャ・ブ)』のシナリオのように、ここを頑張り抜けば、最後には美しい体験が展開していく様に見とれ、歓喜することになるのだという強い主張が、本作には込められている。

そして、同じ一日を何度も経験するこの映画の主人公で気象予報士のフィル・コナーズのように、究極的に問題となるのは、鑑賞者が自身の視覚体験に対して何を為すかということだ。『RE/PLAY Dance Edit』は決して即席の満足感を提供する作品ではない。その代わり、故意に途中で一時停止させられる楽曲、意図的に不快なほどに上げられるボリューム、照明のトーンの微細な変化、もしくは8人の出演者それぞれの型と順序が、ほとんど目に見えないくらいに変化するといった、作品に埋め込まれたひとつひとつの微調整によって、観客はこのパフォーマンス作品を読み解く際、これらの微々たる変化に耳をすませ、注意深く見つめることを促される。

それは豊かな報酬をもたらしてくれる―異論が出るほど執拗に繰り返される楽曲とパフォーマンスの中で、その前景に描かれたものは何か、パフォーマンスの背景にあるものは何かということを人はゆっくりと意識し始める(男の一人が飛び上がって倒れるのを観るのは三回目だから、もう意識がぼーっとしてきたって?ポール・マッカートニーのベース・リフにズームイン!)。

そしてショーの直線的な展開は(大部分のループする瞬間の集合と、少々の一時停止の中に)放棄されているので、ひとは比較的見慣れたものの中に何かしらの新しさを見出すことに駆り立てられる―つまるところ、一度たりとも同じ方法で本を読み返すことはできないし、同じやり方で音楽を聴くこともできないのである(たとえ10回目だとしても!)。

反復という方法を用いたパフォーマンスの「引き延ばし」という概念によって、出演者もまた解放される。彼らはめいめい多少なりとも自分の型にはまってしまい、自分独自のダンスのボキャブラリーを「所持」してしまうので、結果的に個人として見る者の前に立ちあがって来る。鑑賞者は彼らを出来る限り間近で繰り返し目撃するという贅沢を味わう。例えばT.H.E Dance Companyで訓練を受けているMa Yanlinからは明白さが、他方、Sheriden Newmanからは屈託のない明るさがにじみ出る。Jaenny Chandraには快活なスポーツ熱があふれ、日本人出演者のきたまりは愛くるしい機敏さを発揮する。

この意味での個人性は、出演者が稽古中の会話を言葉で再演する中盤の会話シーンで完成をみる(ヤム・セン[福建語で乾杯の意]の瞬間、Singapore Dance Theatreへの皮肉、友情の深まり)。機械的に見える本作の枠組みにもかかわらず、出演者は自動でダンスを踊っているのには程遠い状態にある。一時間半の上演時間の中で、『RE/PLAY Dance Edit』はかれらの忍耐力と集合的技術も強調している―舞台上に身体を再構成し続ける狂気の中には、偶然など一つもない。それは彼らの空間と身体への意識が高められていることを裏付けている。

私たちはもう今年いっぱい『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』は聞きたくない気分になっている。一方、『RE/PLAY Dance Edit』は「ほとんど一緒だけどちょっと違う」ということを、可能な限りで最も素晴らしい方法で応用した公演だった。そして、否、私たちはその方法を繰り返す必要があるとは思っていない。

2016年2月19日金曜日

本番3日目

シンガポールは旧正月。街のあちこちから、銅鑼の音が聞こえる。
72-13の向かいの駐車場にも、獅子舞が登場。
本日は、多くのプロフェッショナルが来場し、公演後にレセプションも開催されました。




2016年2月18日木曜日

本番2日目

フォードバックのミーティング。2階のギャラリーにて。
公演では本日も多数の大学生が来場し、全員参加のアフタートークが開催されました。



2016年2月17日水曜日

いよいよ初日!

 初日は、高校生が多数来場。全員参加のアフタートークが行われました。




当日プログラムのメッセージ

先日、ダンサーたちと一緒にClarke Quay のクラブに行きました。12時までは誰も踊らないと聞いていましたが、本当にその通りで驚きました。シンガポール人は12時なると解放される逆シンデレラですね。みんな楽しそうに踊っていました。やはり踊る事は楽しい事で、人類にとって必要なことなのでしょう。
昔から人類は、祈るため、祝うため、喜び、悲しみ、神とつながり、人とのつながり、様々な理由で踊ってきました。
そしていつの日か、踊りを見せるようになりダンスは芸術になりました。
なぜ私たち人類は踊るのか、そしてなぜダンサーは舞台で踊るのか。
この作品ではその問いに向き合っています。私も、ダンサー達も。それは観客にとっては、なぜ私たちはダンスを見るのか、という問いになるでしょう。その答えは答える人の数だけあるでしょう。
ぜひ自分だけの答えを見つけてください。それは二度と繰り返す事のできない時間の流れの中で、あなたが生きている事の素晴らしさを見つけることです。
この作品では、あなただけのために、あなただけに見える景色をダンサー達と作りました。
楽しんでもらえる事を祈っています。
ご来場ありがとうございます。Thank you Singapore.
ー 多田淳之介


年明け最初の公演として国際共同制作作品『RE/PLAY Dance Edit』を上演できることを嬉しく思っています。
『RE/PLAY Dance Edit』は、シアターワークスが特化している文化間・分野間を越境する作品を代表する公演です。我々の拠点72-13ではこうしたシンガポールの観客にとって見慣れない、オルタナティブな作品を上演しています。観客はここで、思いもよらない経験をすることでしょう。また、本公演はシンガポールの才能に焦点をあて、彼らの活動の場と、さらなる発展のためのプラットホームを提供するという、シアターワークスのミッションにつながるものです。これは1985年の設立以来、当団体の品質を保証するものでもあります。
本公演の実現にむけてご尽力いただいた日本とシンガポールの共同制作者の皆様方に心から感謝の意を表します。
そして、本日ご来場いただいたあなた、我々のお客さま方にも、厚く御礼申し上げます!
ー シアターワークス

2016年2月15日月曜日

アーティスト・インタビュー

シアターワークス『RE/PLAY Dance Edit』特設サイトに掲載されているアーティスト・インタビューを紹介します。
翻訳:齋藤梨津子

多田淳之介
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/05/interview-with-theatre-director-junnosuke-tada/ 

RE/PLAY Dance Editを制作しようと思ったきっかけはなんですか?
2006年に自分が主宰する東京デスロックで「再生」という作品を発表しました。集団自殺をする若者達が死ぬまでの30分を3回繰り返す作品で、身体と時間の不可逆性から「生」と「死」を描いた作品でした。5年後の2011年、東日本大震災を受けて「再生」のコンセプトを発展させた「再/生」という作品を発表しました。台詞も排除し、更に不可逆性、断絶、繰り返せないことを強調した作品です。その後、ダンサーのきたまりがプログラムディレクターを務めたOffsite Dance Project主催のダンスフェスティバル(「We dance  京都2012」)でダンサーと作品を作る機会があり「再/生」をダンサー達と作ったのが最初です。その後横浜のダンサー達とも作りました。俳優版も身体表現による作品でしたが、ダンサーと作った時に更に「踊る/踊らない」というコンセプトを追加したことで、人間とダンス、言葉と表象という作品の軸が追加され、また違った時間との関係を持ちうる新たな作品となりました。

シンガポール版RE/PLAYは、これまでのバージョンとどのような違いがあると思いますか。シンガポールの文脈で、シンガポールの観客に向けて本作を上演するに当たり、取り組もうと思っている課題をいくつか教えてください。
使用する楽曲が作品に大きく影響するので選曲が難しいと思っています。現地のダンサーやスタッフ達と相談しながら決めようと思っています。中国系、マレー系、インド系などさまざまな人種が暮すシンガポールでは、踊りを発する身体そのもの違い、その断絶からさまざまなことを想像してもらえたらと思っています。そして、シンガポール、東南アジア、アジア、世界ということを考えるきっかけになったら嬉しいです。

数年後には東南アジアの各都市で様々なバージョンのRE/PLAYが上演される予定です。どのような課題や反響があると予想しますか?
作品の上演では、個人同士のつながり、断絶から、家族、地域、国と意識のサイズを広げていきたいと考えているので、どこの国でも、まず個と個の関係についての文化的背景を知ることが最初の課題だと思っています。演劇の手法を元に、踊り、踊ることについて描いている作品なので、演劇、ダンス関係者からどんな反響があるのか楽しみです。

ジャンルや文化を越えて作品づくりをすることをどのようにお考えですか。
演劇では、特に韓国では8年間活動を続けているので今は当たり前に共同製作をしています。ダンサーとの作業や、子供や一般の方との作品作りも最近は多いので、自分にとっては相手が誰であろうと自分の演劇から学んだ手法を使って作品を作るという感覚です。海外での活動は、お互いを知り、お互いの違いも知ることで、人間とは何か、同じ国の人同士でも違いや伝わらないことがあること、国、国境とは何かということを考える大切な時間です。

本作をつくり上げるにあたって、達成したいと思っていることを教えてください。
作品を見ている時間が、過ぎていく時間が愛おしくなるような作品にしたいと思っています。

きたまり
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/05/interview-with-collaborator-kitamari/

RE/PLAY Dance Editを制作しようと思ったきっかけはなんですか?
初演の企画者として、ダンスが言葉を超える身体の強度を見せる為に、優れた演出家との共同制作が必要だと感じたので、多田さんにダンサーを演出してもらうことを決断したのが始まりです。

インスピレーションの源となるようなものがあれば教えてください。
人生のすべて

どうしてRE/PLAY Dance Editに参加しようと思ったのですか?
初演の企画者としての責任と期待。ダンサーとしてダンスの限度を超える為に。

シンガポールと日本の共同制作の一員として、どのようなことを期待していますか?
ダンスが世界をつなげることができるかどうか。

作品をつくり上げた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか?
ダンスせざる得ない身体。

今村達紀
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/05/interview-with-japanese-performer-tatsunori-imamura/

インスピレーションの源となるようなものがあれば教えてください。
今まで見てきたもの、聞いてきたものからインスピレーションをえている。今見ているもの、聞いている音、音楽、あるいは雑音からインスピレーションをうける。これからみるもの、これから聞く音にもインスピレーションを受けているはずです。もちろん目や耳で感じ取れないものからも同様です。

どうしてRE/PLAY Dance Editに参加しようと思ったのですか?
僕は2012年のRE/PLAYに参加していました。前回は多種多様な人が集まっていました。今回はさらに未知数な人とどのようなRE/PLAYができるのか楽しみだと思い参加しました。

シンガポールと日本の共同制作の一員として、どのようなことを期待していますか?
出自の違う多様な体、思考、人がこの作品にうまく作用する事を期待しています。

作品をつくり上げた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか?
自分の体とギリギリのところでつき合う方法が残ると思います。多様な体の中でいかにそこに居る事ができるかということも。

Mario Chan
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/10/interview-with-performer-mario-chan/

あなたを突き動かしているものは何ですか?
やめたいと思ったことは一度もないという気持ちが、自分を鼓舞するものの一つ。常に前進して、どこまでも高みを目指したいと思っている。全力を出し切ることを自分に期待しているし、自分の到達したいところに向かって日々活動をしている。

どうしてRE/PLAY Dance Editに挑戦しようと思ったのですか?
本作は自分にとって初のダンス公演になる予定。それが動きに対して独特のアプローチをしている多田淳之介さんのもとでできるということを大変嬉しく思っている。RE/PLAY Dance Editは、同じ動きを異なる方法でやるということについての作品だと思う。たとえば、握手とそこから連想される様々なことを考えてごらんよ。

日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか?
慣れない環境で窮地に立たされるといいな!自分にしかできない動きを見つけ出したいと思っている。死ぬまで自分をリプレイしたいよ。

作品をつくりあげた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか?
行為の意味をより深く味わえるようになっていると思う。我々は日々同じことをしている―ドアを開けたり、お金を扱ったり。そういった行為を生まれて初めて行う人々はどんな風だろうか、また、行為を行う人たちにどんな意味をもたらすだろうか?つまるところ、イマジネーションを膨らませることは実にすばらしいということだ。

Ma Yanling
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/10/interview-with-performer-ma-yanling/

あなたを突き動かしているものは何ですか?
大学卒業以来ずっと、フルタイムで働きながらダンスや演技を続けている。ダンスの技術を磨くために投じている時間はフルタイムのプロには及ばないが、よりよいパフォーマンスを追求し続けながら、同時にその外の世界でのキャリアも積むことのできている自分は、幸運な境遇にあると思う。

RE/PLAY Dance Editに参加したきっかけは何ですか
RE/PLAY Dance Edit のオーティション参加者募集のことを知ったのは、「これやってみなよ」と軽く友達にけしかけられたから。そこから「やらない理由はないな」と考えはじめた。そして、自分は長い間アンサンブルかカンパニーの中で、気の知れたダンサー仲間と慣れ親しんだやり方で踊ったりパフォーマンスしたりしてきたことに気付いた。RE/PLAY Dance Editでは個人で活動している他の出演者と、まったく新しい空間でやることになるのでわくわくしている。同時にちょっぴり怖さもある。

この日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか
多田淳之介さんと作品づくりをする過程をとても楽しみにしている。様々なことばのやり取りや、文化の違い、パフォーマンスの形式はとても興味深いものになると思う。

Elizabeth Loh 
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/12/interview-with-performer-elizabeth-loh/

あなたを突き動かしているものは何ですか
パフォーマーとしての、演劇をやっている者としての自分の情熱に従っている。世間が何を「まっとうな職業」と考えているかなんて関係なく。ははっ!

RE/PLAY Dance Editに参加したきっかけは何ですか
しばらくの間、演技や、ダンスのトレーニングや講座を続けてきたので、私が好きなこの二つの要素を掛け合わせると何が出るのかを見るいい機会になるのではないかと思って参加した。

この日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか
演出家のスタイルと演出、他のダンサーとの協働を楽しみにしている。

作品をつくりあげた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか
疑念は取り払って、ただ動くことができるようになっていると思う。

Jaenny Chandra
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/14/interview-with-performer-jaenny-chandra/

あなたを突き動かしているものは何ですか
単に規範に従ったり、そこに存在しているだけの人生を送るのではなく、情熱を持って取り組めることをやるべきだと強く信じている。私は自分のダンスとフィットネスへの情熱を追求するために、安定して高収入の職を辞めた。容易な決断ではなく、険しい道のりだったが、今は自分が日々やっていることを愛している。私は昔かなり太っていたし、自分の身体について批判的だった。しかしこれまでのキャリアを通じて、正しくエクササイズすることや食事することに関してより多くの知識を得た。昨年はストレート・タイムズ紙の「(体を鍛えている)注目の仲間コーナー」に取り上げられた。

RE/PLAY Dance Editに参加したきっかけは何ですか
コンセプトがユニークで関心を惹かれた。オーディション中、私たちは興味深い方法で動くことに挑戦したが、そこでは「ダンスっぽく」見えすぎてはいけない、もしくは振付しているように見えてはいけなかった。個人的には、それはダンサーとして非常に困難なことだと分かった。共感を呼び、かつ、踊らないようにしながら、いかにして身体の動きを通じて物語や概念を語れるかという挑戦だった。出演するダンサーは各々独自のスタイルを持っているし、自身に振付けることを許されているので、本作は間違いなくおもしろい、やりがいのあるものになると思う。

この日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか
日本の演出家とダンサーと作品づくりをすることは異文化交流でもあるので、とても期待している。シンガポールの文脈の中で上演される斬新な海外の視点を見ることを楽しみにしている。

作品をつくりあげた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか
どんなに異なるバックグラウンドを持っていようと、いかなる言語的・文化的な障壁があろうと、質の高いパフォーマンスをつくり上げようとする情熱と努力は普遍的なものだということを、この目で見たいと願っている。全く新しい体験なので、これを機に自分のダンスとパフォーマンスのキャリアで新たなブレークスルーをおこしたい。

Sufri Juwahir
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/15/interview-with-performer-sufri-juwahir/

あなたを突き動かしているものは何ですか
パフォーマンスを通じて自分を表現する新しい方法を常に探求している。また、身体的・概念的なダンスのアイディアを押し上げるための新しい方法を追い求めている。

どうしてRE/PLAY Dance Editに挑戦しようと思ったのですか
これまでシアタークスと一緒に作品をつくったことはなかった。本作は自分に、ダンスを新たな視点から見つめるための挑戦になると思う。それぞれの振付家が、自身の文化的アイデンティティとパフォーマンスの経験を現場に持ち込んでくると思う。本作で踊ることを通じて日本の創作のやりかたを垣間見たいと思っている。

この日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか
日本人アーティストと新たに友達になれることを楽しみにしている。また、稽古の前後の会話などからそれぞれのメンバーの文化に対する理解を深められることを期待している。

作品をつくりあげた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか
パフォーマンスにおける「踊る/踊らない」の概念が残ると思う。それによってダンスの視野は確実に広がると思う。そうして得た知識や経験を自分の活動に活かしていけたらと思う。

Sheridan Newman
https://replay2016.wordpress.com/2016/02/15/interview-with-performer-sheridan-newman/

あなたを突き動かしているものは何ですか
今日まで25年近くもダンスをつづけてきた!ははっ。幼いころからダンスをやっていたが、14歳になってはじめて真剣にこの道に進むことを考え始めた。ダンスのいいところは、スタイルやダンスのジャンル、文化的文脈、動作の探求、ダンスの指導法、他社との分かち合う方法等々、様々な発見が尽きない点だ。自分は情熱を持って、飽きることなく、脇道にそれることなくダンスをやってきた。自分には、バレエから始め、その後ジャズ、サルサ/ラテン、モダンダンス、コンテンポラリーダンスと経験してきたバックグラウンドがある。シンガポールに来てからはマヤ・ダンスシアターでプリンシパルを務めてきた。Apsara Asiaではインストラクターとプロジェクト・コーディネーターを担当した。マヤ・ダンスシアターに加入して自身のダンス・演劇に対する視野が広がった。そこではインド古典舞踊、Bharath Natyam(インド舞踊の一種)、インドネシアのジャワ舞踊、バリ舞踊、そしてシンガポールの各民族文化を代表するマレー、華人、インド系のダンスを学んだ。4年間にわたりBharath Natyamの訓練を受けた。非常に難しいダンスの形式だが、とても美しく自分を鼓舞するスタイルでもあった。今はよりインディペンデントなアーティストとして、学んだことを取り入れながら、多文化が入り乱れる現代でより多くのダンスを探求・発見していきたいと思っている。

どうしてRE/PLAY Dance Editに挑戦しようと思ったのですか
常に新しいアーティストと新しいことに挑戦したいと思っているので本プロジェクトはパーフェクトな機会だった!慣れ親しんだ環境から離れ、初めて出会うアーティストと一緒に作品を作ることで、刺激的な展開が繰り広げられるだろう。その過程から様々なことを学びたいと思っている。また、(それがどういう意味かはさておき)「ダンスっぽく」見えないようにしながら動きと反復で身体を探求するという、多田淳之介さんの芸術的なアイディアはとても面白いと思った。なので、彼の視点で我々にどのような演出がなされるのか、最終的にどんなものが出来上がるのかを楽しみにしている。

この日本とシンガポールの国際共同制作の出演者の一人として、どんなことを期待していますか
日本人アーティストのやり方をもっと学びたいと思っているし、彼らが私達とどのような経験を共有できるか楽しみにしている。シンガポールは近隣諸国から、働き方、アイディア、リスクなど多くのことを学べると思う。外国からのアーティストとのコラボレーションはいいことだ。そうすることで我々は真に人々やその文化を理解することができる。

作品をつくりあげた暁には、自分の中にどんなものが残ると思いますか?
うーん、まだ経験しないうちに、終わった後に何が残るかを言うのは難しい。同じ経験は二つとないし、何が起こるか、何が出てくるかは分からない。なので、様々なアーティストと一緒に、シアターワークスのコミッションで、シンガポールと日本がコラボレーションした、この作品が残る、として回答に代えたい。

ステージナタリーに紹介されました!

舞台芸術ニュースサイト「ステージナタリー」にて紹介されました(写真:稽古風景)。
http://natalie.mu/stage/news/176148

2016年2月13日土曜日

稽古4日目

照明と音響がセットされた中での稽古がスタートしました。
衣装合わせが終わり、クリエーションは続く。。。

2016年2月12日金曜日

稽古3日目

クリエーションではとにかく話す、互いの国こと、ダンスのこと、身体について。
いよいよ、照明と音響の仕込みがスタート。テクニカル・マネージャーの ファン・シャンビン のもと、総勢12名のテク班の深夜作業が明朝まで続きます。


2016年2月11日木曜日

2日目、稽古を終えて

シアターワークスのメンバーと出演者・スタッフとともにタイレストランにて。



2016年2月10日水曜日

72-13に小屋入りしました!

オーディションから9ヶ月ぶりの再会。
出演者は きたまり、今村達紀、マリオ・チャン、ジェニー・チャンドラ、エリザベス・ロー、シェリダン・ニューマン、スフリ・ジュワヒール、マ・ヤンリン 。日本人2名、シンガポール人4名、インドネシア人1名、オーストラリア人1名とシンガポールらしい多様なメンバーでのクリエーションです。
日本からはテクニカルディレクターのラング、照明の筆谷亮也さん、映像の藤井さん、通訳でシンガポール在住の齋藤梨津子さんが参加しています。






プレビュー/The Business Times,(2016年2月5日掲載)by Cheah Ul-Hoon

シンガポールの新聞「The Business Times」にて、多田淳之介さんのインタビュー記事が紹介されました。



「ダンスの名のもとに振付を掘り下げる」
(翻訳:齋藤梨津子)

 ダンスとは何か?演出家はこの問いをうまく検証することができるのか?
 TheatreWorksとOffsite Dance Project (日本)の共同制作 RE/PLAY Dance Editは、ダンスとは単に音楽に合わせた調和した動作のことなのか、それ以上のものなのかを問う作品だ。
 本作で6人のダンサーは各々自らを振り付けし、それを繰り返し踊りつづける。その上で、他のダンサーに干渉してはいけない、という「ルール」が課される。
 「このルールの範囲内で、彼らは自分のやりたいようにできる」と、2001年から東京デスロックを主宰し、2010年から富士見市文化会館キラリ☆ふじみの芸術監督を務める多田淳之介は説明する。
 そして「大事なのは、本作においてダンサー達がいかに各々の違いを発揮し、それを舞台に現前させることができるかということ」と付け加えた。
 彼の活動は演劇がメインだが、ダンサーの多様性がいいと言う。同じ国出身のダンサー同士は、出身国の異なる俳優同士よりもはるかに多様性に富んでいるというのだ。 
 「彼らが自分自身を表現する方法は実にさまざまだということを目の当たりにした。」俳優の身体、観客、劇場空間を含めた、現前=現象というコンセプトを哲学に持つ多田は言う。
 このようなRE/PLAY Dance Editに対する多田の姿勢を受け、オーストラリア人ダンサーSheridan Newmanは、反復動作を探求した先に何が起こるのか見てみたいと興味をそそられている。「自分が何をするかはっきり分からないときは難しい。しかし多田さんはすでにこの作品を上演したことがあるし、明確な意図を持っている。本作は私にとって、自分自身の中で進行する変化を自ら発見するようなもの。」と在星歴五年のNewmanは言う。彼女は当初Maya Dance Thearteに所属していたが、現在自分のカンパニーを立ち上げ中だ。
 Ma Yanlingは正規のダンス教育を受けたことが無いが、T.H.E Second Companyの作品に出演している。彼女にとっては、本作はダンスと演劇の興味深いコラボレーションと映っている。「私が個人のダンサーとして、普段一緒にやっているのとは違うダンサー達と踊るのは今回が初めてなので、自分のコンフォートゾーンから抜け出す一歩だと思っている。それに本番のわずか10日前に稽古が始まるという実に短期間の制作なので。」と彼女は指摘する。
 オーディションが行われたのは一年前だが、ダンサーたちはその後、特定の指示を受けただけなのだ。
 混乱と分断を通して、本作はダンスの新しいあり方を提示することができるのか?多田は日本と東南アジアの身体性をもってそれを成し遂げ、観客がダンスを再考し、探知し、自身の見方を育むことができるようにしたいと思っている。
 RE/PLAY Dance Editのカンボジア・バージョンは2017年を目指して企画中だ。

2016年2月5日金曜日

プレビュー/The Straits Times(2016年2月2日掲載)by Nabilah Said

シンガポールの新聞「The Straits Times」にて、多田淳之介インタビュー記事が紹介されました。プロジェクトメンバーの 齋藤梨津子さんの和訳もご覧ください。




「デスロックで固められて」

日本人演出家の多田淳之介(39)がコラボレーターのきたまりと共に、6人のシンガポールのダンサーと2人の日本人ダンサーとつくりあげる『RE/PLAY Dance Edit』を発表する。 このコンテンポラリーダンス作品は2011年に多田と彼の劇団・東京デスロックが初めて上演した。「再生」という概念と、身体の動きの反復を探求する作品である。 今回の公演はシンガポールのTheatreWorksと日本のOffsite Dance Projectのコラボレーション。 


なぜご自身の劇団を東京デスロックと名付けたのですか?  
真面目じゃない理由としては、自分がプロレスファンで、デスロックというプロレス技に由来しています。この技で固められたレスラーは相手から逃れられなくなってしまうという技です。
真面目な理由としては、劇団の初期の活動の中で、自分が死をメインテーマに作品をつくってきたからです。死とは、人は誰でもいつの日か直面する現象です。さいごには皆死んでしまうので、我々はより幸せに、より穏やかに生きようともがいています。

どんなものからインスピレーションを受けますか?  

日本での日常生活からインスピレーションを受けます。 
2011年の東日本大震災と福島の原発事故以降、人々が今まで考えもしなかったことを意識し始めたので、とても興味深く感じています。 
もちろん今までの態度を変えずに、物事を真剣に考えない人たちもまだまだいますが。彼らが何を考えているのだろうかということに思いを巡らせています。

現在どのようなことに取り組まれていますか? 

日本で上演する新作を作っています。2020年の夏季オリンピックが東京で開催された後どうなるかという話です。 
日本社会は経済的にも、その他の面でも、身の丈以上の努力をしているように感じられます。オリンピックが終わったら、何かしら悪い衝突が起きて、それが社会に影響を及ぼすのではないかと思っています。

上演中の面白いエピソードはありませんか? 

2006年に初期の『RE/PLAY Dance Edit』を上演した時、観客の一人が「こんなの演劇じゃない!帰れ!」と叫んで途中で帰ったことがありました。 
アーティストとしては作品を否定されて残念でしたが、普段シャイな日本人の観客がこのような強烈なリアクションを示したのでとても面白かったです。

芸術家でなければ、どんな人になっていたと思いますか?  

ミュージシャンになっていたと思います。中学生から25歳ぐらいまでバンドを組んでいて、ベースとギターをやっていました。バンド名はKubrickです。メンバー全員が好きだったStanley Kubrick(アメリカ人映画監督)からとりました。

2016年2月1日月曜日

RE/PLAY DANCE Edit/特設サイトオープン!

シアターワークスの特設サイトがオープンしました。チケット予約も開始しています。
https://replay2016.wordpress.com/

Tickets:
$18 Standard
$12 Concession for Students and Senior Citizens above 62

To book your tickets, email replay@theatreworks.org.sg or call us at 6737-7213
Performance Details:

Dates & Times:
17 – 20 Feb 2016
8PM

Venue:
72-13 Mohamed Sultan Road, Singapore 239007